ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年

@ 海外リゾートマーケット事情

2001/7/20更新

なんとなくリゾート解説

1995年現在、私のリゾートホテル勤務は合計6年半になる。ホテルマンとしての修行が地方のリゾートホテルで1年半。客室数180室と小さなホテルなのでダイニングサービス、宴会全般、バー、喫茶室など料飲の仕事を一通り勉強した。

当時、この地には配膳組織がなくすべて社員でサービスしていた。1,000名のパーティを社員8名でやったものだ。(信じてないな本当です) 結婚披露宴80名のセットを1人で8時間かけて完成させたりもした。これらの仕事は都会のシティホテルでは考えられない。

リゾートホテルの宿命は、オンシーズンとオフシーズンが混在することである。オンシーズンは休憩する暇もなく、休みもなく死ぬほど働かなくてはならない。逆にオフシーズンは、暇だが職場に立っていなくてはならない。すべてのシーズンが辛い。

これは年間の収支を考えると余分な人など雇えないから。忙しい時期だけ働く人もいない。問題は、料飲部の戦略だけでお客様を増やすのは極めて困難。ホテル集客の延長線上に成り立っていると言える。

そのリゾート地でお客様を呼べるか。あるいはそのホテルでお客様を集められるかである。

よってリゾートホテルビジネスは一言ではとうてい語れない。特に旅行会社が大きく影響するのが厄介である。

リゾートホテルの運営は、失敗すると悲惨極まりない。成功すると、都会では信じられない利益をもたらす。

私はグァムで、最初の1年は料飲支配人として主にバー関係を担当した。2年目はレストラン支配人としてレストランを担当した。3年目は宴会セールス支配人として旅行会社とのお付き合いに終始した。

この間、2度の天災でホテル閉鎖を経験し業績は予算にはほど遠いものであった。但し私は、この苦悩時期に一生懸命リゾートホテルのマーケティング戦略を模索し続けた。

4年目に料飲部長として料飲部の権限を与えられた。現地スタッフ350名と共にマーケット戦略を実施した。日本の常識が全く通じないアメリカ準州グァムでの話。

結果、料飲部売上グァム一番を達成。

グァムでは巨大ポリネシアンディナーショーをもつPICホテルが売上一番を長年キープしており別格であった。この売上を超えるなど夢物語と言われていた。

売上予算に対して120%の実績。しかも部門利益が38%と信じられない結果となった。(対前年比で163%)

それは一発逆転満塁ホームランを打ったから。このヒントは毎日このページを見ていただくと見えてきます。

この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。

2006年再読