ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第六部 大阪ブライダルビジネス 2002年〜2003年

2002/10/26  更新 

ホテルのプラン誕生秘話

現在、ホテルのブライダルはプランを主力商品として売っている。良いとか悪いとかは別にしていつ頃から何故プランが生まれたのかを知っているだろうか?

ゼクシィが発売される15年以上前の話。(ゼクシィは1993年5月発売)

それまでホテルは黙っていてもブライダルが定価で売れていた。そのころから、結婚を考える二人は自分達で結婚式場を選びたいと思い結婚式場紹介所に通うようになる。

それまでのホテルは、結婚式場紹介所からの客へは「仏滅しかないよ」と迷惑そうな態度でお高くとまっていた。

しかし徐々に結婚式場紹介所からの紹介客が増え続けた。ホテルはこれまでの迷惑そうな態度から、手のひらを返したように「結婚紹介所様」と態度を急変させた。

その頃のホテルのブライダルは60%以上をエージェントから紹介されていた。よって、少しでも多くの二人を紹介してもらおうと多くのホテルが契約した。

結婚式場紹介所は次から次へと営業所を増やした。そこで働くスタッフも新聞広告で経験のないおば様を多く募集した。結果、婚礼ビジネスを全く知らない人々が婚礼を販売することになる。

しかし、新聞広告できたおば様は婚礼を知らないため上手く売れなかった。そこで結婚式場紹介所は、素人のおば様でも売れるようにホテルにプランを作るように指示した。

こうして素人のおば様でも売れる「ホテルのプラン」が契約するホテルの全てで誕生した。

このようにして生まれたホテルのプランだが。ホテルにもありがたい現象が生まれた。それは、誰でも打ち合わせが可能になり、一人のスタッフが何倍もの組数を担当できるようになったことだ。

そこでホテルは結婚紹介所のおば様に菓子折りを配る「婚礼セールス」というセクションを作った。

実際に素人のおば様に気に入られたホテルの婚礼が売れるという珍現象まで現れた。

ホテルと結婚式場紹介所が手を組んでできたホテルのプランビジネスだが、結婚するお二人の気持ちなど全く関係なかった。

自分達の利益しか考えない両者のビジネスがいつまで続くのだろうか?

もうすでに結果は出ている。東京と大阪の最大手である結婚式場紹介所が経営の危機を迎えている。いずれも結婚情報誌と手を組んで生き残りを模索している。

しかしホテルはこのようにして生まれたプランを単純に安く売ることしか考えていない。

もう結婚式場紹介所やプランに頼る婚礼ビジネスの時代は終わったのではないか?

頑張れ!ホテルマン。

 

この原稿は2002年作成 2006年再読

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