ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第四部 東京お台場アーバンリゾートホテルビジネス 1996年〜1999年

2001/10/1更新

こんな不幸なホテルがあっていいのか

このホテルの開業は想像を絶する出来事の連続だった。

1996年にお台場で計画されていた「世界都市博覧会」が突然の中止となった。しかしホテルは当初の予定通り3月に開業した。

本来ならフル装備の準備で開業しなければならなかった。しかし、都市博の中止によりお客様が来ないだろうと料飲施設の縮小やスタッフの採用も大幅縮小した。

そこに信じられない数のお客様が乗り込んできた。ものの見事にホテル開業はパニックの連続となった。開業のスタッフは何人も辞めていったと聞く。

私はこのような状況に陥った時に出向を命じられた。加えて日本中のホテルチェーンへのヘルプ要請がなされた。

このホテル開業に関し誰も悪くないと思う。政治的な決定がこのような不幸なホテル開業になっただけ。

この「まんぷく寺」はホテルや人を批判することを目的にしていない。お台場のホテルで経験したことで皆様の参考になるような事例だけを抜粋してお伝えしたい。

私は初めての首都圏勤務である。開業後約1ヶ月ほど経過した4月中旬に勤務を開始した。

1996年当時のお台場へ行くには、よく止まる新交通システム「ゆりかもめ」だけであった。週末には、切符を買うだけでも1時間以上待たされていた。

私が赴任した後に迎えたゴールデンウイーク期間中、お台場訪問者が東京ディズニーランド入場数を上回ったのです。

そのお台場で食事ができるところが、このホテル以外ほとんど無かった。

こんな不幸なホテルがあっていいのか。

この原稿は2001年作成

2006年再読

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