ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第三部 大阪ミナミホテル企画ビジネス 1995年〜1996年
2001/9/13更新
ホテルブライダル事情 ホテルがオープンした13年前のブライダル事情はこうだった。 結婚を考えるカップルは新しいホテルで結婚式と披露宴をやりたかった。オープン初年度は黙っていても婚礼が定価でどんどん売れた。 その後、500室を超える大型ホテルが次々とオープンした。2〜3年後には定価では売れなくなった。当初は予約の入らない夏と冬に格安プランを販売する。 やがて秋や冬のオンシーズンも1杯にならなくなり、通年格安プランがお目見えする。ハードが古くなると結婚を考えるカップルは下見にも来てくれない。 何百万円もの費用をかけてブライダルフェアーを開催する。そこに来たカップルをあの手この手で仮予約を取って成約にもっていこうとする。 次第にその決定率も低下して、ブライダルフェアーの費用も出せなくなった。 加えて、結婚情報誌「ゼクシィ」が発売された。 これまではカップルが直接ホテルや式場に行かなければ知りえない見積を、80名の統一見積として公開した。業界のタブーを破った画期的な雑誌である。 これまでのカップルは多くのホテルを比較することも出来なかった。何も知らないカップルに「ホテルですから」と言って高額商品を売っていた。 詳細な見積を紹介する雑誌になんで協力する必要があるのか。とんでもない雑誌である。 このような事情から「ゼクシィ」に広告掲載することは、ホテルの格を落とすという訳の解らない理由をつけていた。 宴会場も老朽化がはっきり分かる。チャペルが無ければ婚礼が売れないという意見に答えて、ショボイチャペルを作っていた。 とにかく同じ地区にある同格ホテルのプラン価格に対して少しでも安く販売する。とうとう万策尽きた状態に陥っていた。 そこに、私が婚礼の販促担当と言われた。婚礼予算に対して年間200組のマイナス状態。金額で6億円以上のマイナス。 私が婚礼販促を命じられた5ヶ月後の1996年2月に発売したのが「なにわの披露宴 結婚でんねん」である。 ブライダル業界の話題を独占し、200組のマイナスを一気に予算達成まで導いた。 ここには初めて皆様に公開する。結婚でんねん発売秘話を。(つづく)
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この原稿は2001年作成
2006年再読