ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-
開業物語 横浜編 その2
2006年11月 横浜港遊覧船 シーバスから横浜の施設を撮影 まんぷく寺写真部 横浜人(浜っこ)のプライドに火をつけろ 私は、この横浜でのビジネスから地方都市めぐりが仕事になった。地方都市へ東京本社の会社が進出していくことで気をつけなければならないことがあった。 それは、地元の協力会社の皆様方と一緒にビジネスを作って行かなければならないこと。そして、地元のゲストに認められなければならないということ。 私は、浜っこ気質を知るために、長年横浜で働く友人のホテルマンを訪ねて「浜っこ」について色々教えてもらった。 全体的に私が感じた横浜の皆様方は、「横浜に住む人は、横浜にプライドをもっている。東京に対しても相当なライバル意識を持っている。六本木や渋谷に遊びに行くとは言わないで、わざわざ東京に遊びに行くと表現する。横浜の人の心には、東京と横浜の間に大きな山が存在する。」と結論を付けた。 この2001年当時は、東京でこそゲストハウスウエディングがちょこちょこできていたが、横浜地区にはまだ一軒もなかった。横浜人がゲストハウスで結婚式をしたいと思っても、決して東京には出かけないということである。 これから開業準備室で、浜っこにとっては、まったく新しいウエディングを売っていくのである。私はこの横浜の皆様のプライドに火をつけるためのコンセプトを考えた。 「東京から呼んだ新婦の友人が、お庭でハンカチをかんで悔しがっているウエディング」 このコンセプトを武器に、新規接客を開始した。 私「東京からはお友達を呼ばれますか」 新婦「はい、友人を3名ほど呼ぶ予定ですが」 私「東京の友人が、お庭でハンカチをかんで悔しがっているシーンが目に浮かびますね」 新婦「ほ・ん・と」 私「お申し込みでよろしいですね」 新婦「もちろん」 みなとみらいにあるホテルの皆様が気が付かない間に、このコンセプトを語った私は、新規成約の数を増やしていったのだ。 2002年に私が残した新規成約の数と、みなとみらいのホテルが失った新規成約の数が全く同じであった。 その3につづく
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