ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-
開業物語 横浜編 その3
2006年11月 横浜港遊覧船 シーバスから横浜のホテル郡を撮影 まんぷく寺写真部 ホテルの無関心に助けられて この横浜プロジェクトは、ゲストハウスウエディング社の社運をかけた大プロジェクトだった。横浜で初めての本格的なゲストハウス施設として、2001年3月から大きくゼクシィの広告を出し続けた。 ホテルの宴会婚礼担当者であれば、ゼクシィを見ていない人などいないと思う。そういう意味では、この横浜プロジェクトの広告は、ゼクシィさえ見ていたら誰でも気づいたと思う。 しかし、我々の開業準備室に「見学をさせてください」と申し込まれたのは、たったの1ホテルのお1人だけであった。 ホテルの宴会婚礼関係者(料飲部)以外の人には全く知られることは無かった。 横浜プロジェクトの施設がほぼ完成した2001年10月ごろの出来事を2件紹介する。 1件目、 結婚するカップルから、結婚式と披露パーティ後に「Rホテルに泊まりたい」という要望があった。私が、元ホテルマンという肩書きを持って、そのホテルの宿泊責任者に法人契約をお願いするために伺った。 私は宿泊支配人に「ゲストハウスウエディングとは・・・・・・・。年間宿泊数は・・・・・・・・・。」などと、約1時間をかけて一生懸命説明した。退屈そうに聞いていた宿泊支配人は最後に「で、その施設はどこにできるんですか」と聞いてきた。 2件目、 そのホテルPの客室から横浜プロジェクトの施設がよく見える。宿泊ゲストがコンシェルジュに「あの施設は、いったい何ですか」という質問が多くなったそうである。 このホテルのコンシェルジュから電話をいただいた。「おたくの施設はいったい何ですか。マンションですか。私共のホテルゲストから多く質問をもらいます。パンフレットでも送ってもらえませんか」 2001年とは、まだ5年前の出来事である。それまでの横浜ウエディングはホテル全盛時代であった。ホテルのライバルは、あくまで他のホテルであった。他のホテルのプランの値段さえ気にしていたらよかったのかもしれない。 私は、ホテルの無関心に助けられて(ホテルへの対策なしで)、記録に残る新規獲得数を残すことができたのである。 ちなみに、横浜では、1997年ホテルコンチネンタル横浜、1999年セントジェームス迎賓館、2001年エクセレントコーストとブライダルプロデュース社の施設ができている。 この3施設で年間3,000組のゲストを獲得している。そして我々横浜プロジェクトで1,000組を獲得する。 ホテルの皆様方は、いつ「こりゃ大変だ」と気づいたのでしょうか。 参考資料: ゼクシィ2007年2月号 (2006年12月発売号) 横浜・川崎のエリアページの広告 ホテル広告 18ホテル 48ページ 1ホテル平均 2.6ページ ホテル以外広告 29会場 103ページ 1会場平均 3.5ページ すでにホテルは広告費の使い方でも、ゲストハウスウエディンググループに完敗という結果である。
その4につづく
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