ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-
独立秘話 その1
独立後初の総合ウエディングプロデュース 本物の個人別荘ウエディング 2005年から2006年初めにかけて、サラリーマンとして、私のブームは完全に終わったと自分で判断していた。営業数字に関する燃えるような業務も無かった。 そのような時に、私に独立を決意させる出来事があった。 ブライダル司会会社の社長様から、関東地方にある互助会系の大型結婚式場の再生話があった。私は仲間と共に、その会場に何度もお邪魔して話を伺った。 先方の社長様、専務様、常務様を始め、スタッフの皆様方も笑顔で我々を迎えて、正直に現状を教えていただき「歓迎ムード満点であった」 この結婚式場の再生は、大変な力が必要と判断した。おそらくこの式場に常駐して、すべてのオペレーションを見直さなければ再生できないと思った。 これまで学んできた全てのノウハウを、この結婚式場に注入して、1年で見事に再生して見せようと決意した。 2006年5月、私は49歳にして東京BMCサポートという株式会社を設立して「代表取締役」という肩書きを手に入れました。 そして、夢と希望に満ち溢れ、企業家としての第一歩を踏み出したのです。 私には、これまでのビジネスでのお付き合いから、多くの仲間がいて、多くの協力会社がいて、このプロジェクトに協力してくれると信じていた。これまでお世話になった皆様方に独立の挨拶と協力要請の葉書を何百枚も用意して送った。 しかし、この時に私に賛同してくれたのは、たった一人のビジネスパートナーだけであった。 しかし、小さいとはいえ株式会社のトップです。スタッフがいなくても代表取締役に変わりありません。 しかし・・・・・。 平成15年の国税局の調査では、全国の法人数をおよそ255万社と発表しています。会社のトップ、いわゆる社長が255万人もいるということです。 255万人と言う数は、大阪市の人口とほぼ同じで、毎年生まれてくる赤ん坊(110万人)のほぼ倍の数になります。 そうです。これだけの数の社長がいれば、悲しいかな「社長だから」と言って、特に貴重なわけでも、尊敬されるわけでもないのです。 再生結婚式場へ、最終の提案書を持参して具体的な内容を詰めようとした時、新しい支配人様がいた。その方は、元々この結婚式場におられた。社長様いわく、他の結婚式場で結果を残したので支配人として採用したとのことである。 私はこの新支配人様と話をしたが、ビジネスの考え方など全く違うことに気づいた。加えて、私の存在に対して敵対意識を持っていることに気づいた。 しばらくして社長様から正式なレターが送られてきた。 「せっかくのお話でありましたが、新しい支配人と一緒に死ぬ気で頑張ってまいります」と書かれていた。 その2につづく 参考書物: セミナー講師になって稼ぐ法 松尾昭仁著書 より数字などを引用させていただきました
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