ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」  

第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-

2007年3月27日更新 

開業物語 大阪編 その2

 大阪市内に多く建設されたゲストハウスウエディング会場のひとつ

 2007年 冬 まんぷく寺写真部撮影

 

この話は2003年の出来事である。

私は大阪南港に造る、大阪で初めてのゲストハウスの開業準備室長を務めた。大阪南港には大阪市の関係施設(第三セクター含む)が多く存在する。

その為に何かにつけてお役人様と話をする場面が多くあった。そして、一番悩んだのがお役人様との交渉事である。

大阪南港に行くには、大阪港トランスポートシステムという第三セクターの鉄道に乗らなくてはならない。今でこそ200円という値段になっているが、当時はわずか2分間乗車するだけで360円も取られたと記憶している。

この値段のお陰で、大阪のスタッフの定期代が異常に高くなった。関東では月3万円の定期代があれば、ほとんど2時間かかって通うスタッフも予算内に納まる。しかし、この交通機関のお陰で半分のスタッフは3万円を超えた。この通勤事情により多くの会社が大阪南港に進出できなかったと思った。

冗談のように聞いたことがある。「ここの乗車料金って日本で一番高いですよね」、会社の偉い人は「何ゆうてんの、東京のゆりかもめがあの値段やろ、けっしてうちは高くないで」と言われた。(ゆりかもめは台場までリンボーブリッジを渡って12分で360円、大阪はそこまで2分やで)

お役人の皆様方の言い分はこうだ「これだけ金がかかったので、これだけもらわなければ合わない」である。大阪南港にある多くの第三セクターの皆様方(出向中のお役人様)もこのような考え方でおられる。そして、大阪にある第三セクターは日本で一番赤字を抱えている。

大阪南港にあるゲストハウスが開業すれば、毎週土日に招待ゲストが約2,000人も、この鉄道を利用してやってくる。よって私は駅に行って、会場までの案内看板を出させてくれるように頼んだ。

交渉に当たったお役人様(大阪市から出向)は、いかにもめんどくさそうな顔をしてこのように言われた。「一般企業様の看板は、駅の構内には一切出せません」と。私は「なにわの海の時空館、ふれあい港館ワインムージアム、ATCビル、WTCビルなどたくさん出しているじゃないですか」と反論。

係りの人「あ、それはすべて大阪市関係の第三セクターですよ。民間の看板を一社でも認めると不公平ですからね」と信じられない回答でございました。

結局、何十回も通ったのだが、私のお願いは一切聞いてもらえなかった。

大阪市には道路や街中に看板を出してはいけないという条例がある。大阪の繁華街にある風俗看板を禁止する条例だが、この大型ゲストハウス施設の誘導看板も、風俗営業看板と同じ扱いを受けた。つまり駅から施設までの誘導看板の一切を禁止されたのである。

お役人様に、このような対応をされた私は本当に頭にきた。しかし、相手はお役人様である。それに歯向かうことは自殺行為である。

よって開業の当日、駅から会場までの約10分間の道のりで、一切の案内看板が出せなかった。ユニフォームを着た、インフォメーションのスタッフ15名が、看板を持って改札口から会場までの間に立って案内をしたのである。

しかし、彼ら、彼女らの姿を見ていると涙が出るほど悔しさがこみ上げた。そして、とうとう私は切れた。

辞表を胸に、大阪港トランスポートシステムの社長室に嘆願に行った。「社長様、私達は本当に困っています。何とか駅に矢印だけでも出させてもらえないでしょうか」などなど、切々と社長様に事情を説明した。

社長様は、お役人様(めんどくさそうにした人)を呼んでこう言った。「ええやん、何としてあげて」私「ありがとうございます。さ、社長様がそういってくださったので駅に案内出しに行きましょう」と言って、その人と駅に向かった。

最初は、薄い紙の案内だけであった。しかし、既成事実を作ったらこっちのものだ。毎週、立派な看板に変っていった。加えて道路にも赤い看板が目立つように置かれるようになった。あの時から、4年たった今は看板だらけという状況になっている。

あの社長様には本当に感謝しています。(あのあと3ヶ月でご勇退されましたが)

この話はほんの一部である。

その3につづく

 

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