ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」    

   まんぷく寺 倒産の真実 その1

 

それは、大震災から始まった。 2018/3/11

 

私がこのサイトをオープンしたのが、2001年6月21日。

 ホテルマンの駆け込み寺としたこのサイト。

ホテルを辞めて、ブライダル業界に転職して成功した。

ホテルでは認められなかったが、ブライダル業界では認められた。

ホテルマンの皆様、ホテルを辞めてブライダル業界に来ましょう!

このような考えでこのサイトを開設した。

 

私は、2006年5月に独立起業した。

株式会社東京BMCサポート(以下まんぷく寺)。

創業当初は、東京都新宿区に事務所を設け、

ブライダルコンサルタントを主な事業とした。

2008年7月に本社を新宿から大磯に移転。

直営のイタリアレストランを開業した。

イタリア食堂TAIAN 2008年9月開業

私が調理場に立ち料理を作った。

オリジナルのインターネット集客が成功して繁盛店に。

 

年々、仕事が増えて多忙となり、レストランはクローズ。

日本中を駆けずり回り、ブライダルコンサルタントを続けていた。

会社の業績は、年商5千万円で黒字経営であった。

 

2011年3月11日 茨城県古河市 カナルハウスさんにて会議中。

午後2時41分 大日本大震災が起こった。

この事実により、次年度の契約がすべて白紙に戻った。

つまり、全く仕事がほぼない状態になった。

 

2011年4月 まんぷく寺に新たな経営幹部メンバーが加わる。

名古屋地区で仕事をやりたいと、取締役としてNが参画。

Nとは、過去に仕事をした経験があり、信頼できる関係を築いていた。

 

2012年2月 東海地区で結婚式場を開業したいという会社と出合う。

経験もノウハウもないため、私が現地に住み込み開業を担当する。

私は、この事業主の依頼により、

てっぱん食堂の閉店、数年契約していたコンサルタント業務も、

こちらからお願いしてお断りして、静岡県事業所に入った。

 

つまり、まんぷく寺は、愛知県事業と静岡県事業の二つとなった。

 

私は一貫して、やりたいことがあればすべて任せる。

 そして、結果を残して会社が大きくなれば良いと考えていた。

 

ここで、運命を大きく分けた出来事があった。

 

静岡県事業は、資金が全く用意されてなく、(契約当初は用意されていると説明受ける)

事業主の会社では多額の事業資金について、銀行融資ができなかった。

開業コンサルタント契約として、

銀行への事業計画なども作成していた弊社だった。

銀行は、まんぷく寺と私の連帯保証がつけば融資すると言われた。

 

当時、愛知県事業も軌道に乗っていない。

ここで、静岡県事業も出来なくなった場合、会社の先が見えないと判断。

静岡県事業の開業資金、(当面の運転資金と建築資金)の連帯保証人になった。

地方銀行と保証協会の共同融資となった。

 

 

2012年秋、愛知県事業に大きな話が浮上した。

取締役Nから、「ゲストハウスの運営をしてもらえないか」という話があった。

取締役Nは「ぜひやりたい」と。

 

 

 

 

 

 

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