ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年

E 絶対絶命 天災

2001/8/12更新

マグニチュード8.2 87年ぶりの大地震

1993年8月8日(日)

台風「オーマ」のことを忘れていた。ようやくグァムに活気が戻った頃、この日も夏休みでほぼ満室。

私は自宅で夕食の準備をしていた午後6時30分。本当に突然グラと揺れた。「あ、地震だ」と思った瞬間、床が30センチくらい持ち上げられ、直後に大きな横揺れが随分続いた。

すぐに停電になったが、テーブルのグラスが落下して割れた程度の被害。グァムでは調理もすべて電気なので停電すると夕食も作れない。

しょうがないのでホテルへ夕食を食べに行った。タモン湾のホテルロードを走っていると2週間前にオープンしたホテルが完全に折れている。(後に爆破された)

グァムの住宅はほとんどが3階以下なので意外に被害が少なかったが、各ホテル共に相当な被害だ。我がホテルに到着した時に驚いた。

雨が降っていたが大勢のお客様は駐車場にいて寄り添って泣いている。奥尻島の津波による被害の記憶があり部屋には戻らない。ホテルは完全に3つに割れていた。

16階にあったスプリンクラー用2トンの水入りタンクが倒れ部屋は水浸し。「こりゃ、大変だと」思った。

地震が起きたときは夕食のピーク時間。レストランのスタッフはどうしたのかと思っているとき、駐車場にいるお客様に毛布を配っているではないか。自分たちはずぶ濡れになりながら。

日本語は私しか話せないので「大丈夫です、津波は来ません。どうか部屋にお戻りください」と叫びつづけた。

ホテルをすべて見て回った。16階のキッチンの業務用冷蔵庫がすべて倒れている。夕食の時間でてんてこ舞いの最中であった。

スタッフに聞けば1メートルくらい横揺れしたそうだ。数名の怪我人はでたが、死者が出なかったのは不幸中の幸い。

地震の場合はガスが使えない。電気が復旧したので、日本人の家庭を回り電気炊飯器をかき集めご飯を炊いた。日本人全員でおにぎりを1000人分作ってお客様に提供した。(私の夕食はどうなったのか)

現地の新聞によると、マグニチュード8.2でグァムでは87年ぶりの大地震とのこと。

次の日には炎天下の庭でズンドウ(巨大鍋)を4つ並べカレーの仕込をした。汗がしたたり落ちる。「あ〜なんて不幸なんだ」と言いながら。

お客様が全員帰国後、ホテルを閉鎖しての復旧作業。この後、半年間はお客様が戻らなかった。

今回、このように海外で働く日本人ホテルマンの経験を紹介させていただいた。この事実は日本のホテルマンに知られることなく過去の出来事となっている。

私の先輩はインドネシアでクーデターがあった時にホテルの総支配人であった。フィリピンでクーデターがあったとき、先輩はニュースステーションのインタビューを受けた。サンフランシスコにいた後輩は同じような大地震にあって死ぬ思いをしたといっている。

私たちは日本から派遣されて海外で働いている。やはり会社の硬い殻に保護されている。戦争が起きたら一時帰国すればいい。

現地に住んでいる人たちは、このような天災があっても戦争がおこってもどこにも逃げる場所がない。

日本からわざわざ派遣されているならば、現地の人たちの生活向上のお役に立てないものか。私は、この天災から現地の皆様と一緒に頑張ってみようと考えた。

皆様、お待たせいたしました。次回から南国の楽園マーケティング戦略の開始です。

 

この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。

2006年再読