ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年

E 絶対絶命 天災

2001/8/11更新

風速90メートル 台風「オーマ」直撃 その3

8月30日(日)

水がいよいよなくなってきた。1部屋に家族で泊まっているが水はアイスポット1杯だけの供給。私はホテルのタンクからチョロチョロでている水を並んでいる人々に配った。

小学生の小さなお子様が1列に並んで順番を待っている。本来なら楽しい夏休みのはずであったのに。このシーンはホテルマン人生で1番辛かった。

食事会場でもこれまでの騒がしさが消えた。女性で化粧している方もいなくなった。暑い部屋で何にもできなくただ耐えているだけ。

お客様から「何で我々だけこんな辛い思いをしなくてはいけないのか」と言われた。私は静かに「私たちも被害者です」と言ったら皆様黙った。

我がスタッフは本当に元気で、朝昼夜の食事準備をしてる。

突然、飛行機が飛んでくるという情報が旅行会社よりもたされた。1部のお客様がわれ先にへと空港に出て行った。天気はあいかわらず悪い。熱帯低気圧が停滞していた。

だが、飛行機は飛んでこなかった。落胆するお客様が帰ってこられた。

信号機の無くなった島での交通整理には、台湾と韓国の軍隊が来て汗だくで働いていた。日本人がこんなに苦労しているのに日本政府は何もしてくれないのか。複雑な気持ちで、軍人さんにありがとうとつぶやく。

8月31日(月)

「やった!JALがジャンボを4機飛ばすぞ!」レーダーがないので昼間だけの有視界飛行が許可された。他の空港会社も飛ばすと正式に発表された。

ホテルが急に慌しくなった。次々にチェックアウトが始まった。約650名のお客様が空港へと向かった。

私は空港が見える高台で飛び立つ飛行機を数えていた。夕刻から日暮れまでに飛び立たなくてはいけない。「どうか全員を日本へ連れて行ってくれ」と祈った。

暮れかけた夕日の中に最後のジャンボが離陸した。残りのお客様も明日中には日本に帰れるとのこと。

9月1日(火)

昼過ぎ、全てのお客様がチェックアウトされた。皮肉にも直後に水が出てきた。

お客様が全員無事日本へ帰られたことを、現地スタッフも一緒に喜んだ。これから自分たちのホテルや自宅の復旧の為の大変な作業が待ち構えている。

これまで世界で1番だめなスタッフと思っていたが、今回の出来事で本当に見直した。

現地の新聞にホテルでは1番最初に広告をだした。「本日よりホテルは閉鎖いたします」

台風の被害状況が日本で大きく報じられた。その後、半年間は観光客が戻ってこなかった。

でも1番の被害者はグァムに住む人たちである。これにより多くの人々が職を失った。(我がホテルはスタッフ解雇は一切しなかった)

私の自宅に電気が戻ったのは3週間後であった。その間レンタルビデオが出せなくてデッキごとビデオ屋に持っていき延滞料金を取られずにすんだ。

そういえばロタ島にバカンスに行くはずだったよな。

その後グァムには風速105メートルの台風が来て、これが世界で1番大きな台風としてギネスブックに載っている。

この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。

2006年再読