ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年

E 絶対絶命 天災

2001/8/11更新

風速90メートル 台風「オーマ」直撃 その2

8月28日午後5時、緊急対策ミーティングが開かれた。とりあえずお客様の夕食準備である。宴会場にてなんとか850名の食事が提供できた。

お客様は現状を甘くみている。「和食がいい、さしみが食べたい」などとわがままを言っている。

午後11時に総合対策ミーティングが開かれた。全員の顔に疲労と絶望感が漂う。

・従業員の自宅は相当な被害である。ただし、できる限り帰宅させないようにする。

・日本人が住む地区でも、屋根が飛んだや窓ガラスが割れているなどの被害報告。

・水はいつ復旧するか分からない。1日分の貯蓄しかないため、午前0時をもってホテルの給水を止めることに決定。

皆が寝静まった深夜、私は車で外の様子をみに出かけた。

道路には電柱が折れて倒れている。信号はすべて飛んでしまったようだ。車が何台もひっくり返っている。本当に部落が消えている。

あまりに危険な為、自宅までは行けなかった。想像を越える大変な状況である。

風速90メートルのスーパータイフーン「オーマ」は大変な被害をもたらしてゆっくり去っていった。

8月29日(土)

グァム国際空港の管制塔とレーダーがやられた為、飛行機が飛んで来れない。空港閉鎖はしばらく続くらしい。

ホテル内のやしの木の葉っぱが全部飛ばされている。ただの棒が突っ立ているだけ。昨日までジャングルがあったのに、ただの草むらに変わっている。

最大の問題は水である。部屋のトイレが使えない為に1階のトイレ横にドラム缶を置き、プールの水を運こぶ。お客様は用を足すとドラム缶からバケツで水を汲み流す。常に行列ができたいた。

水が出ないので皿やグラスも洗えない。宴会場での食事は紙皿、紙コップ、プラスチックナイフフォークを使ってセルフサービス。

お客様は飲み水もない、シャワーもない、冷房もない状態で不安と不満を募らせている。非常電源もあと数日しかもたない。

それにしても現地のスタッフは明るく頑張っている。お客様もこの明るさで不安の解消に役立っている。私は彼らへの認識をかえた。

夕刻に初めて自宅に戻れた。幸い被害はほとんど無かった。電気がないので冷蔵庫のものすべて捨てた。非常用の電池や氷やミネラルウォーターを求めてスーパーを探すがすべて売り切れでお手上げ。

自宅ではトイレも使えない。レンタルビデオがデッキに入ったままで取り出せない。エアコンも効かないので蒸し暑く部屋にいることはできない。すぐにホテルへ戻った。

その3へつづく

台風「オーマ」が来る直前 やしの葉っぱがすべてなくなる

 

この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。

2006年再読