ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年

B 数々の失敗事例

2001/8/3更新

ニューヨークバーに白人ゼロ

私は飲料支配人として赴任している。メインバーは成功させなければならない。グァムのバーを回ったが本格的なバーがなかった。

都会のバーでは女性をくどく目的で利用するお客様をよく見かける。南国の楽園で20年前のニューヨークを作ってやれ。テーブルはポーカーやルーレットなど、ゲームができるようになっている。本物のビリヤードもできる。やしの木を眺めながら、ニューヨークを感じてもらおう。

グァムで1番のバーになると確信した。キャッチフレーズを考えた。「頑固なまでに、決められたレシピーどおりにカクテルが造られる」このようなメインバーになる予定であった。

しかし、頑固なまでに決められたレシピーどおりにカクテルを造れるバーテンダーがいなかった。映画「カクテル」のように格好だけのバーテンダーしかいない。1杯ごとに味が全く違う。

メインバーで女性をくどく人は全くいない。日本でくどいたあとにグァムに来ている。空港の免税店でお酒を買い、部屋で二人で気ままに楽しんでいる。

地元の人にはカクテル$6.5が異常に高くて誰も来ない。まったくお客様のいないメインバーとなってしまった。

その後、カラオケバーやライブ演奏を入れてみたが予算達成には程遠い成績となった。要するに、中国料理と日本料理レストラン以外はすべて失敗。

これまでくどくどと失敗事例を説明させていただいた。ほとんどの方がどうしようもないとあきらめる。どうせ一生懸命頑張っても赴任期間が終了すればそれで終わりだから。

私は、飲食店マーケティング戦略を成功させるという自分へのこだわりがあった。予算達成に向かい頑張るあほなホテルマンの生き様へと話は進む。

 

この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。

2006年再読