ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第二部 グァム海外リゾートホテルビジネス 1991年〜1995年
B 数々の失敗事例
2001/8/1更新
デスコとカラオケじゃダサー ホテルにはディスコと併設するVIPルームがある。開業当初ディスコのマネージャーを解雇したため、私が黒服をしていた。日本でディスコに行ったこともないのに。 オープンすればある程度のお客様が来ると勘違いしていた。VIPルームは白人の美人女性がいるカラオケクラブであった。(ホテル直営は世界初と言われた)お客様が英語を話せないので一向に盛り上がらない。白人女性とのアバンチュールが期待できないのですぐ帰る。 お客様がパラパラのディスコはしらけるだけ。音楽がむなしく鳴っているだけでは、すぐに出て行きたくなる。グァムにはオニキスという本格的なディスコがオープンしたため、ホテル内ディスコは流行らなくなっていた。 このままではいけないと思い自分なりに動いてみた。昼過ぎ、ホテルのビーチやタモン湾ビーチにいる若い日本人に無料入場券を配った。いつも日本人をナンパしているフィリピン人ナンパボーイズには「お客さんを連れて来れば全部無料にしてやる」とセールス活動をさせた。 このナンパボーイズのセールスは効果があった。毎日30人くらい集めてくる。それはそれでいいのだが日本人のギャル争奪戦がディスコ内で繰り返され問題も多くあった。 当初のコンセプトはアダルトディスコで中年の観光客をターゲットにした。ディスコとカラオケのネーミングに相当無理があった。まったく来ない。 とうとうあの上司から「もうやめろ」と言われビーチ通いをやめた。それからは全くお客様が来なくなった。 以後、現地のプロデュース会社に運営を任せた。(多少の赤字で細々とやった)
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この原稿は1995年作成、時代錯誤のご理解をお願い致します。
2006年再読