ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第四部 東京お台場アーバンリゾートホテルビジネス 1996年〜1999年
2001/10/13 更新
笑えないとクラブ 1996年秋、異常な営業に陰りが見え始めた。ホテル周辺に飲食店が次から次へとオープンしたためである。加えて、リゾート地お台場に冷たい風が吹き始め客足が遠のいた。 それでもレストランは相変わらず満席が続いている。さすがに待ち時間はほとんどなくなった。 私もやっと企画でも考えようかと思える余裕ができた。最も閑古鳥が鳴いているのはナイトクラブ。 キャバクラナイトクラブにお客様を案内する企画ではなく、こんな楽しいナイトクラブがあるのを告知するのが目的。 何か面白い企画がないかなと銀座を歩いていた。「銀座7丁目劇場」の前を通って思いついた。 吉本興業の若手漫才師(5組)がナイトクラブで漫才をする。この漫才が面白いと笑ってしまうとテーブルのボタンを押す。 押してしまうと料金の全額1万円を払わなくてはならない。もし笑わなかったら通常料金の半額5千円でいいのだ。 題して「笑えないとクラブ」を実施した。このとき呼んだ若手漫才師は、今をときめく「ココリコ」や「ドンドコドン」なども来ていた。(当時は全くの無名) 私も東京の顧客に手紙を書いて集客の努力をした。そして、企画の2日間は初の満席営業となった。まあ漫才を目的に来た人が全てとは言えないが。 私も漫才を聞きにナイトクラブにいた。ところが漫才がまったく面白くなく誰もボタンを押さなかった。 大騒ぎした私は大恥じかいた。笑えないとクラブは私のことだった。
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この原稿は2001年作成
2006年再読