ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第三部 大阪ミナミホテル企画ビジネス 1995年〜1996年
2001/9/9更新
宴会ビジネスの衰退原因 ホテル経営が厳しくなったのは、過去のドル箱宴会ビジネスが急下降となったから。 宴会ビジネスがいかに厳しくなっているかを、配膳常備の給料で伝えてみる。(一般的な話) 配膳常備に対するホテルの保証は、1日8時間勤務で月200時間。時給1800円として月の給料は36万円。 私が記憶する配膳常備の最高給料は月100万円弱であった。我々社員がもらう給料の3倍以上もあった。これはそれだけ仕事があったことを示す。 現在では月36万円も保証できなくなり、常備という契約ができない。以前常備で稼いでいた人も月20万円ももらえなくなっている。 では社員はどうなのか。宴会が忙しい頃、残業が多くついてそれなりの給料をもらっていた。現在は残業なしで給料が大幅に下がった。経営サイドは人件費削減と大声で叫ぶ。 給料の多い管理職が変な理由をつけられ多くやめさせられている。過去ホテル管理職社員が配膳をしている例も決して少なくない。(年収に換算すると半分程度) では、なぜこのような状況に陥ったのか。ホテルによっていろんな原因があるが、一般的には会社経費支払いの平日宴会が激減したから。 政治家の資金集めパーティも表向き激減。社長就任パーティなどの件数も激減。おおむね会社の経営が苦しい時にパーティなどで騒いでおれないが本音か。 ホテルの宴会は、土日に婚礼などの個人支払いのビジネスがある。そこに平日ビジネスが激減した。箱を売るビジネスでドル箱が平日に空いている。 そこはただではあきらめないホテルマン達。みんなで寄ってたかってアイデアを出し合っている。 故人を偲ぶ会など良く考えるな。アイデアの無いホテルは次々とまねをする。故人を偲ぶ会のセットを婚礼下見のカップルに見せている。 そして、婚礼が取れなくなり、他のホテルをみすえた安売り戦争へと自分達の首をしめている。
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この原稿は2001年作成
2006年再読