ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」

第一部 ホテルレストランビジネス 1982年〜1990年

第一章 マーケット事情と開業物語

その2 ホテル開業

2001/6/25更新

大阪ミナミでホテルレストラン開業

1982年9月、大阪ミナミでホテルの開業である。私の担当はフランス料理と鉄板焼のレストラン。調理場を含めて総坪数75坪である。窓もなく景色もなく洞窟のようなレストラン。

私は地方の修学旅行生を相手に商売する小さなホテルから転職してきた。一緒に働くスタッフはホテルで食事をしたことのない新入社員がほとんどであった。

私に課せられた予算は1日50万円、1年で1億8千万円であった。当時はこの数字がよく理解できないレベルと記憶している。まあ、それでも開業後は超多忙が続き1日百万円の売上げが半年も続いた。

このレストランはパリの2ッ星レストランの姉妹店という広告で多くのお客様が来られた。しかし開業から3ヶ月は同業者の方々が約3割おられた。

食前酒やカクテルや料理解説のリクエストなどが多く我々素人集団には全く答えることができなかった。

例えば、「お食事前のお飲物はいかがでございますか」「ペルノーのオンザロックとドンゾエロシェリーを下さい」「申し訳ございませんが存じ上げません。教えていただけますか」というやりとりが毎日続いた。

これらの同業者の方々の顔が優越感で喜び一杯になっている。「なんだこいつらこんなことも知らんのか、たいしたことないなあ」この事実で我々のレストランは同業の方々からたいしたことないレストランというレッテルを貼られ長い間村八分になった。

まあ同業の方々は1度きりの来店の為末長い営業成績への影響は全くなかった。

それまでのホテルスッタフのイメージはお高くとまって知らないカクテルなどのオーダーがあっても決して「知らない」など言わなかったと思う。裏に入って本などで調べて出していたのではないか。

意外にも大阪ミナミのお客様には受けたのです。この「申し訳ございません」サービスが。

例えば、「お食事前のお飲物はいかがでございますか」「マンハッタンくれますか」「申し訳ございませんが存じ上げません。

作り方を教えていただけますか」「え!知らんのか情けないのう、それはな・・・・・・・・・こうして作るんや」「かしこまりました。ありがとうございます」その通りお作りして「これでよろしゅうございますか」「まあ、まずくはないなあ」「ありがとうございます。

また一つ勉強させていただきました。明日までにちゃんと覚えておきますので明日またお越しくださいませ」というやり取りの後、本当に明日来られるのです。

「おお、昨日のカクテル覚えたか」と言いながら。お連れの女性の前でこう言うのです。「こいつらな、わしが教えたらんとあかんのじゃ」

 同業者に総スカンをくったこの初々しいサービスは大阪ミナミのお客様の優越感に火をつけた。

そしてこの初々しいサービスのお陰ではじめての顧客が誕生し後の史上最強のレストランづくりの基礎となった。(疑う方もおられると思いますがこのやり取りはすべて事実です)

この原稿は1994年のものです。少々時代錯誤の部分があることをご理解ください。

2006年再読