ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-
開業物語 仙台編 その2
2003年3月 仙台市八木山、チャペル建設予定地 まんぷく寺写真部撮影 仙台の開業準備室では、横浜や大阪に比べて新規のゲストが来なくて悩んだ。ゼクシィ広告を大量に出しても予想をはるかに下回るゲストしか来なかった。 ゼクシィ広告の他に、タウン情報誌への広告、地下鉄駅への巨大広告、テレビCMなど考えられることは全てやった。しかし、思うようにカップルは集まらなかった。 そこで重要になってくるのは、数少ないゲストを1組でも多く決めてもらう新規営業である。 私は、大阪と仙台を往復する毎日で、仙台においても無意識に「大阪弁」が出ていたようだ。まさか、これが原因でいままで経験したことが無いほど低いの決定率となった。 カップル「チャペル結婚とはどのような式ですか」(本当の話) 私「教会でキリスト教式で結婚式をあげるのでございます」 カップル「フラワーシャワーって何ですか」(本当の話) 私「結婚式が終わりますやろ、皆でおめでとうと言いながら花をかけますんやわ」 カップル「・・・・・・・・・・・」ずっと引いてゆき、帰ってゆく。 異文化コミニケーション、大阪弁は宇宙人と見られたようだ。 私の隣で新規営業をしていたH子さんは、仙台が地元で地元結婚式を把握していた。私では思いもつかない仙台セールストークで多くのカップルの信頼を得ていた。 私の倍以上の決定率でございます。 貴重な新規カップルを、私のような決定率の低い人間が接客することほど馬鹿な事は無い。常に決定率の高いH子さんが、常に接客できるようにシステム化することである。 この日を境に、私は新規接客を一切しなくなった。理由は明快である。「決まらないから」 H子さんたち地元出身のスタッフの努力により、低迷していた決定率がグングン上がっていった。 そして私は、1組でも多くのカップルを玄関に呼び込むために奇策を考え実施したのである。 その3につづく
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