ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」
第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-
開業物語 大阪編 その1
2003年 冬 大阪南港に建築中の本格的な大型ゲストハウス まんぷく寺写真部 私は大阪南港に造る、4ゲストハウス1チャペル施設の開業準備室長を命じられた。そして、2002年5月に大阪に入った。 横浜プロジェクトの神奈川県と大阪プロジェクトの大阪府とは婚礼マーケットがほぼ同じである。横浜の施設は日本有数のターミナルから徒歩10分の近さにあった。 それに比べてこの大阪は、暴走族しかいないといわれた大阪南港の埋立地である。大阪市がオリンピックの誘致に失敗したつけで野原状態であった。 この時点で、大阪にはゲストハウスという言葉は存在しなかった。しいて言うならば、万国博覧会の迎賓館を貸切で使えた施設くらいであろう。 そのような理由からこの大阪プロジェクトは、誰がどう考えても苦戦必至というプロジェクトであった。
しばらくホテル業界から消えていた私を、大阪のホテルの方が迎えてくれた。 友人「久しぶりやな、何してんの?」私「ゲストハウスという結婚式の施設を作るんや」 友人「何やそれ、聞いたことないで」私「新しいウエディングのスタイルや」 友人「大阪ではなホテルのウエディングしか売れへん。格安プランしか絶対に売れへん」 何人もの友人ホテルマンは、同じことを言っていた。 この時期までの長い間、大阪地区のホテルや結婚式場は年間30,000組の婚礼を施行していた。しかし、この大阪プロジェクト(ゲストハウス)の開業2年後の2005年には、ホテル式場合計が20,000組に激減している。 その後、毎年1,000件以上の婚礼がホテル式場から逃げている。(正確にはホテル式場に行かなくなっている) 2007年2月号の関西ゼクシィの大阪地区広告から 広告掲載は、ホテル30社、ゲストハウス25社、式場18社、レストラン10社という内容。掲載ページ数は圧倒的にゲストハウスカテゴリーが多い。 あの時、私に忠告してくれたホテルの友人たちは、この状況を誰が予想したのだろうか。 なぜこんな事になったのか? 大阪市のお役人様、大阪のホテルの皆様、大阪の友人たち、皆様が声をそろえてこう言う。 「ここは天下の大阪やで〜」「大阪は誰にも負けへんのや〜」 勝ち組にいるゲストハウスは大阪会社でしょうか?そこに大きな盲点が存在する。 その2につづく
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