ホテルマンの駆込み寺「まんぷく寺」  

第十部 ゲストハウスの中に僕がいた 2006年-

2006年10月8日更新 

何も知らずにゲストハウスの支配人

1999年秋・開業時のゼクシィ広告

ホテルマンを辞めて約1年が経過した、1999年7月末に東京恵比寿にあるゲストハウスウエディング本社で社長面接を受けた。9月15日に開業する、東京の高級住宅街「広尾」に改装中のレストランが入る、大邸宅の館長候補として。

この時、私がウエディングに関わるとは夢にも思っていなかった。あくまでレストランの支配人のつもりでした。

8月21日入社後、本社にいた時に、結婚式を考えるカップルが時々来ていた。女性スタッフが接客をしていたが、私は何の接客かも知らなかった。

開業が迫ったある日、女性スタッフからこう言われた。「あの〜支配人、新規接客をしてもらっていいですか」私はマジで「新規接客って何ですか」と聞いたほど何も知らなかった。

結局、それから結婚を考えるカップルに、「当施設を貸し切ってウエディングパーティをしませんか」という営業が始まった。

その時にカップルに見せる絵は、ゼクシィ広告にあるイラスト画4枚だけであった。この4枚の絵をカップルに見せながらの営業である。

その時の私はレストランしか知らなかった。カップルにしゃべることは料理のこととワインのことがほとんどでした。

見積もりも、プランを作ることも知らない私なので、すべて正直に積み重ねる定価での提示しかできなかった。カップルから「ドラジェって何ですか」の質問にも答えることができなかった。

「それでもどんどん決まった」と書くと思ったでしょ。

そうなんです、どんどん決まったのです。決めるセリフはただひとつ。「私にお任せください」

開業当日はレストランの開業ではなく、結婚披露パーティであった。これまでホテルの披露宴しか出たことがない私が見たこのパーティには驚いた。

まるで外国映画のようなシーンが繰り広げられる。前菜はカナッペなどを立食形式で庭やサロンで自由に供される。和やかな雰囲気の中で貸切パーティは自由気ままに続けられた。

今までに見たことがない結婚披露パーティである。そうか、これが今風のウエディングなのかと思った。

本当に、何も知らずにゲストハウスの中に僕がいた。

この時に日本全国でゲストハウスウエディングと言っていた施設は、たったの2箇所だけでした。

つづく

 

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